山吹は目の前の情景をみて唖然とする。年末が近いとは言え、本当にこの店に入るのかと思うと足が竦むのを感じた。
進藤から昔教えてもらったチョコレートの店だが、こうも鮮やかなピンク色で染められているとは聞いてはいないし、女性客しか居ない事も聞いてない。山吹は足早に店内に入り、周りの視線に目を伏せながら、一つのチョコレートを指差した。
時は流れて夜も更ける。進藤はグラスに火酒を注ぎながら目の前でカウンターに項垂れる友人を眺めた。
まぁおつかれさん。
お前なぁ・・・
項垂れたままに火酒を口に注ぐ。山吹はいつもより味がしないような気がした。
薫のそんな姿を見るのも新人以来かもしれないな。
半分はお前の所為だ。
まぁまぁもう半分の話でも聴こうかね。
ポツリポツリと山吹は事のあらましを話し出す。決して自分は間違った事は言っていない・・・それでもな・・・と話しながらそう思った。
なんというか間違った事は言っていないが、配慮も言葉も足りていないな。
それはお前も同じだろう。
薫に対してはその限りではない。
どういう事だよ。と山吹はそう返す。グラスの中の火酒はもはや氷を残すのみとなっている。
あの子が一生懸命にその患者様のリハビリをしていて、安心できる生活を提供しようとしているのは見ていただろう。
正直上手くやっていたよ。それは認めざるを得ない。
なら何故それを言わなかったんだ?どうせ褒めてしまうと成長が止まるとでも思っていたのだろう。
事実それはそうではないのか?常に不足と感じていないと成長も出来ないだろう。
成長していると実感できなければ、それ以上もまた望まないのではないか?
進藤は山吹に視線を落とさずそう答える。その答えに反論できる術は自分にはないと山吹は分かっている。
ならどうすれば良かったんだ?
薫から質問とは珍しいな。そんな問いに答えはないよ。
質疑応答になっていないな。
まぁ強いて言うなら、出来たら褒める。出来なかったら叱る。だけども課題を乗り越えたら褒める。叩いて伸びるのはその後に褒められるからだよ。
なるほど報酬系の話か。
だからそういう所がな。と進藤は答える。
相変わらず『君の言う事は間違っていないが正しくはないね』だな
なんだ随分と懐かしい言葉だな。・・・じゃぁ何が正しいんだ?
それは自分が一番分かっているだろう。
山吹は燻んだ茶色の小さな紙袋を人差し指で突く。オレンジピールの香りを薄く漂わせながらそれは揺れた。
報酬系と言う所か。
だからそういう所がだな。でもまぁ百合ちゃんはちゃんとやり遂げたじゃないか。
そうだな予想以上だな。急性期ではもちろん患者様の病態を把握し治療の進行を理解し、それに合わせて早期に在宅へ繋がるように立ち回らなければならない。もちろん僕がそれが十分に行えているとは思わないが、患者様を白波君はよく見ていたよ。
それに一番大切なのは如何に早く患者様の生活や人となりといったバックヤードを把握できて予後を予測し、プランニングする。その点は百合ちゃんはよくやったじゃないか。
そうだよ。と山吹は思う。患者様をただ見るだけではなくしっかりと関わる。その点には問題は無いし、自分以上に良くやることは見ていれば分かる。
だからこそ、それは伝えなければならない。自分が何もできなかったと思ってしまったら成長も何もないだろう。
確かにそれは・・・反省するよ。
珍しい。殊勝な薫が観れるとは。沢尻にも教えてやらないとな。
それは・・止めてくれ。
グラスに再び火酒が注がれる。それをクルクルと回して手を止める。わずかに小さくなった氷はグラスの中で廻る廻ると回り続けている。
明日・・・白波君はちゃんと来ると思うか?
そりゃ来るだろう。たとえ上司が嫌な奴でも仕事だからな。
お前こそ配慮や言葉が足りていないだろう。
薫に対してはその限りではないよ。
ふん。と山吹は鼻を鳴らしてもう一度、燻んだ茶色の小さな紙袋を見る。
ご機嫌取りみたいで癪だから、せめてコーヒーでも淹れてもらおうか。そう思う事にした。
グラスの中の氷はすっかりと溶けて、琥珀色のまるで鮮やかな西日みたいな色だと思った。
山吹薫のメモ ⑥
・後輩の成長は素直に褒める。できない所は指導する。でもその後にしっかりと褒める。
・後輩は何もできないと感じると成長を止めるかもしれない。
・明日、白波くんにオレンジピールのチョコレートを渡す。
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